第一次整備計画により3棟の増設と診療棟の改修を終え、平成元年12月には第二次整備計画に基づく5棟と6棟が竣工した。同月12日には竣工式と披露パーティーが開催され、新棟の完成を祝った。また、刈谷市伝染病棟の12床も開設した。
5棟は駐車場、伝染病棟、人工腎臓科、内視鏡室を備え、それぞれ最先端の機器を導入した。6棟には駐車場、健診センター、病棟、医局、図書室、病院長室、副院長室、事務部があり、地下1階にMRI(磁気共鳴画像装置)を設置した。
健診センターは翌年1月より業務を開始した。MRIほかCT、胃透視、肺機能検査、マンモグラフィーなどの検査機器を備え、人間ドックとして機能し、生活習慣の見直しをはかるなど保健指導も受けられた。異常が発見されれば当院での二次検査や治療が迅速に行える仕組みとなっていた。早期発見、早期治療により患者本人や家族の負担を軽減するだけでなく、膨張し続ける医療費の抑制にもつながる。そのためにも健康に対する地域への啓蒙が欠かせないとして、平成5年より専門医を講師に定期的な健康セミナーを開催している。
平成6年4月の2棟の増床と翌年の3棟の増床により一般病床は629床となった。平成8年には循環器センターを開設した。平成9年には年々増加する来院者のために立体駐車場を建築した。平成11年から4年にわたる病院増改築で、診療棟が拡張整備された。
HISTORY病院の歴史
平成5年10月18日〜23日の1週間、開院30周年記念行事を3棟の会議室などで行った。30年の歩みの写真展をはじめ医療相談、介護用品の展示、講演会など多彩な催しを開催、時には200人を超える地域住民が訪れ、地域と病院との絆を強めた。翌年3月には『刈谷総合病院三十年誌』を発行した。
平成6年5月30日、第4代理事長白井武明のあとを受けて、第5代理事長に豊田芳年が就任した。当時豊田は豊田自動織機製作所の社長を務めていたが、その手腕を豊田会でも発揮することになる。平成5年6月30日に第3代病院長の小谷彦藏が退任、7月1日付で第4代病院長に鈴木貞輔が就任、「全員参加の病院運営」を掲げ、病院運営にあたった。
平成9年5月1日付で第5代病院長に川島吉良が就任、「信頼される一流の病院」を目指していたが同年12月3日に逝去、病院長代行に宇佐見詞津夫が就いた。翌年6月1日付で第6代病院長に粟屋忍が就任、救急から在宅介護まで地域の要望に応える医療を推進した。平成14年6月1日には第7代病院長となる小林正が就任したが、翌月8日に急逝。直ちに鈴木克昌が病院長代行を経て同年12月1日付で第8代病院長に就任、「真に誠意をもった対応」を呼びかけた。
看護の分野でもより専門的な知識が求められるようになり、看護婦養成機関においてもより高度な教育が必要となっていた。地域医療の担い手として刈谷市や刈谷医師会とも検討を重ね、看護専門学校の設立を決定した。
刈谷総合病院看護部では臨床指導者の育成と専任教員の養成を進め、看護婦養成所指定申請書を厚生省(現:厚生労働省)に申請した。厚生省の実地調査等を経て指定が決定、愛知県知事の設置認可を得て、平成4年4月、刈谷看護専門学校が開校した。校長は刈谷総合病院院長の小谷彦藏が兼任し、副学長、教育部長のほかに専任教員7人を配置、高校卒業以上を対象とした全日制の3年課程であった。これに先立ち刈谷市から無償貸与された土地(刈谷市半城土町)に4階建ての校舎を新築、3月25日には竣工式が行われ、刈谷准看護高等専修学校も同地に移転した。
4月8日、39人の入学生を迎えて第1回入学式が行われた。カリキュラムの専門的知識や技術の習得だけでなく、豊かな人間性をもった看護婦の養成が期待された。
平成7年10月、訪問看護室を発展的に解消し、当院の敷地内に刈谷訪問看護ステーションが新たに発足した。自宅で過ごしたいという患者の希望に応えたものである。専門職が訪問し、健康状態の観察、日常生活の介助、入浴・排泄の介助、栄養指導やリハビリテーション、ターミナルケアなど、現在も24時間連絡体制で在宅療養の患者を支援している。発足当時、スタッフは4人であった。
また、平成8年4月、当院の診療棟1階に刈谷在宅介護支援センターが開設された。自宅で暮らす高齢者などの要介護者と介護している人の支援業務を担っている。高齢化社会を見据え平成12年に施行された介護保険法に沿う施策として、介護認定で要支援と認定された人が利用できるサービスを行っている。
また、医療法人豊田会は刈谷地区での医療福祉に貢献することを目的に、平成11年1月、100床を有する老人保健施設ハビリス 一ツ木を開設した。老人保健施設として療養高齢者の家庭復帰を支援している。同年12月には居宅介護支援事業者の指定許可が下り、刈谷在宅介護支援センターと一ツ木在宅介護支援センターが該当施設となった。
この施設は、平成9年9月に刈谷市一ツ木町において地鎮祭が行われ、1年半をかけた建築工事が始まった。鉄筋コンクリート造り5階建て、延べ床面積は7,266m²、個室・2人室・4人室の病室計41室と食堂、リハビリテーションを行う機能訓練スペース、ボランティア室、研修室、在宅介護支援コーナーを設けた。一人当たりのベッド専有面積11.5m²は、ゆったりとしており、国内でも屈指の広さである。医師1人、看護・介護職員37人、リハビリスタッフ2人(うち1人は兼務)、相談員3人、その他5人(事務4人、薬剤師1人)でのスタートであった。
平成12年4月に介護保険法の施行を受けて、老人保健施設ハビリス 一ツ木は介護老人保健施設ハビリス 一ツ木と名称を変更した。
平成7年1月、刈谷社会福祉協議会の協力を得て当院でのボランティア活動を行う「ゆうあいの会」が発足した。揃いのピンクのエプロンがトレードマーク。病院ボランティア委員会と連携して患者案内などの活動をする。具体的には車椅子の介助、初診の申し込み案内と手伝い、各科の案内など、戸惑う来院者へのサポートを行う。病院業務がスムーズになって、来院者にはもちろんボランティア自身も社会に役立っているという生きがいを得られ、好評である。
ISOとは世界共通の規格や標準を定める国際規格であり、ISO9001は品質管理、ISO14001は環境に関する規格である。当院のクオリティー向上と体質の改善をはかるために健診センターと病院全体での取得を目指し、平成10年9月1日にISO推進室を設置、ISOへの取り組みを推進した。
健診センターの品質管理に関する認証については5S(整理・整頓・清掃・清潔・躾)活動、環境側面調査のためのPFD(プロセスフロー図)シートの作成など、互いに認証への理解を深める活動を着実にこなしていった。6月の予備審査を受け8月の本審査に臨み、平成11年8月27日、ISO9001の認証を取得した。
ISO14001については、各部署単位での活動を基盤として環境マネジメントの策定と展開、統括環境管理責任者による部門間調整などの努力により、平成12年2月2日から3日間の審査を経て4日に認証登録された。以後、医療機関として特徴ある環境活動を進め、平成13年2月には介護老人保健施設ハビリス 一ツ木、刈谷訪問看護ステーション、刈谷・一ツ木在宅介護支援センターにおいてISO14001の認証拡大が認定された。
平成10年6月、財団法人日本医療機能評価機構による病院機能評価の審査を受け、地域で安心・安全・信頼と納得の医療サービスを提供する水準を満たしているとして認定証が授与された。日本医療機能評価機構は中立的・科学的な第三者機関として医療の質の向上と信頼できる医療の確保に関する事業を行っている。
刈谷市東部地域における医療の充実をはかるため、平成9年4月1日、刈谷総合病院附属東診療所を開設した。川島吉良常勤顧問を所長に16人のスタッフで診療にあたった。
急速な高齢化の進展で高度化・複雑化する医療ニーズに応え、効率的・機能的な医療施策を展開するために療養型病床群を設置することとし、平成10年11月1日、東分院(療養型病床群)設立準備委員会が設置された。平成12年4月、100床の療養型病床を備えた刈谷総合病院東分院が開院した。慢性期医療を担い、長期入院を必要とする患者への安心な療養環境を提供する。急性期医療は刈谷総合病院、慢性期医療は東分院、家庭復帰に向けて良質なケアと生活リハビリテーションを行うハビリス 一ツ木、在宅医療は刈谷訪問看護ステーション・在宅介護支援センターがそれぞれ担当するという機能分担が確立した。こうした機能分担により高齢者医療の充実が実現した。東分院の開院に伴い刈谷総合病院附属東診療所は廃止された。
平成14年5月には東分院に50床の透析センターが開設された。